THE IKKYO TSUSHIN

知らない街。 - 新宿・歌舞伎町 -

新宿概論 ~歴史、街の香り~

元禄時代、江戸日本橋と甲州道中の第一宿・高井戸宿(現在の杉並区)との間に新たに建設された宿場があった。内藤新宿と呼ばれたその新しい宿場は江戸期を通して隆盛を極め、ついに江戸四宿に数えられるまでに発展する。現在では1日あたり320万人が利用する世界一のビッグターミナルにして東洋一の歓楽街、新宿のはじまりである。

新宿駅を中心としてこの街を東と西に分けてみれば、歓楽街の東側とビジネス街の西側というくっきりとしたすみわけが浮かびあがってくるだろう。

終戦直後、新宿は東京の多くの地域と同じように一面の焼け野原となっていた。そんななか、「現在の歌舞伎町一番街付近に歌舞伎の演舞場を建設し、これを中核として芸能施設を集め、新東京の最も健全な家庭センターを建設する」という復興事業案が浮上する。この都市計画から名づけられた新しい町の名前が「歌舞伎町」だ。財政面などからこの構想は実現せず、新宿コマ劇場が建設されるにとどまったものの、歌舞伎町は東京でいち早く戦災復興を成し遂げ、「全首都復興の月桂冠」と讃えられた。

したがって歌舞伎町を中心とする東側と、「副都心」として位置づけられた駅の西側のビル群との対照性は決定的なものである。そこでは戦後復興というやり場のない怒りやむなしさをごちゃ混ぜに織り込んだ強烈な生命力に裏打ちされた、本能的で土着的な精神がいまも根強く息づいている。思想家であり哲学者の中沢新一は、著書「アースダイバー」の中で次のように宣言する。「大人っぽさと子供っぽさと上品さと下品さが、ここではひとつに溶け合っているのだ。」

だからこそ、新宿には露骨な性の香りがよく似合う。

アジア最大の歓楽街~風俗街~

季節にかまわず春を鬻(ひさ)ぐ街、新宿。それは岡場所(非公認の売春宿)であった元禄のころから変わらないし、たぶん私やあなたがすっかりこの世から消え去った後にも変わらないだろう。

新宿の性とはいかなるものなのか?そこではほんとうにどんなことがおこっているのだろう?

歌舞伎町交番すぐ横の「無料風俗案内所」に行ってみた。しかし警察の見ている前で堂々と足を踏み入れるのはためらわれる。
「お兄さん、どっか探してるの?」
二の足を踏む私に目をつけたのだろう、突然黒服の怪しい親父がニタニタしながら近づいてきた。
「案内所にある女の子の写真はウソが多いから、俺が紹介しようか?とりあえず写真見るだけタダだから、お店見てみなよ」
そこで親父は声をひそめた。
「……本番もあるよ」

歩くこと50メートル、たどり着いたのはいたって普通の雑居ビルだ。
「6階までエレベータで昇って、5階が受付だから階段使っておりるね」
5階に着くと1畳ほどの待合に通され、すぐに女の子の写真を渡される。ほとんどが合成だ。写真は10枚くらいあるのだが、現在出勤中の女性は3人しかいないと言う。いかにも無許可営業のぼったくりである。執拗に女を勧める受付を振り払い、騒がしい繁華街に戻った。

今度は思い切って案内所に入ってみる。中で風俗案内人としてでかい顔をしているのはいかにもノリのいい、軽い口調の男である。 彼によると都の条例改正後、キャッチが表立ってできなくなったので、ほとんどの風俗店は案内所を介しているらしい。 どういうサービスを望み、いくらの予算で、どんな感じの女の子が好みなのかを聞いてくる。
「ヌキあり、安め、年上、色白細めで」
「じゃあここだな。今なら割りチケ(割り引きチケットの略)あるから60分コースで1万5000円が1万4000円だよ」
私たちはあらゆるものに値段と名前をつけることに忙しい。

紹介された店でサービスを受けた後、余った時間で女と話をする。風俗嬢の語る数々の情報。人妻というのは、ヘルス業界では20代終わり以上の女性を指すのだということ。必ずしも人妻である必要もないこと。彼女は夫がいて2人の子供もいるが、それはかなりめずらしいケースであること。 話をしている間、私たちは終始抱き合い手をつないでいた。おそらく元禄の時代にも、幾多の男と女が同じように幾多の夜を明かしていたことだろう。そしてまたそれは、私やあなたがすっかりこの世から消え去ってしまった後にも……。

喧騒渦巻きネオンの明かりが瞬く新宿は、街全体がまとう性の香りをいっそう色濃くしながら夜を深める。

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Last Updated: 2009-06-25T03:52:44+09:00 (Thu)