
だが楽観的な予想とは裏腹に、僕はそこで談合坂以上の時間を食われることになった。具体的には 1 時間半もの間、ただの 1 台の車も OK をくれなかったことになる。 この間、すっかり回復した空模様は急速に夜に向かって転げ落ちていった。僕は 5 台ほどの車に断られた後、絶望的な気持ちで西に沈んでいく夕日を眺めた。それは自分の人生でもっともさびしくもっとも不安で、そしてもっとも惨めな夕暮れであるように僕には感じられた。そうしてそのような感傷に浸っているうちにあたりは本当に真っ暗になった。夜に追いつかれたのだ。 僕は大阪ナンバー、なにわナンバー、京都ナンバーの車に絞って次々に声をかけていった。断られるたびに精神的に参った。しかしそれも無理はなかろう。こんな危ない時間に、ただでさえどこの馬の骨とも知れないヒッチハイカーを乗せようとなど、誰がするだろう? 僕は改めて自分のやっていることの無謀さを感じた。そしてむなしくなった。一体俺はどこへ行こうとしているのだ? 僕はぼんやりと、そう自分に問いかけた。一体俺はどこまで行こうとしてたんだっけな。そう考えて、そして本当に突然に、自分の中で「京都」がその日の目的地として明確に認識されていることに思い当たった。たぶん僕は乗せてもらった人に「京都の友達に会いに行く」といい続けているうちに、本当にそれを目的地として自分自身の中に刷り込んでしまっていたのだ。あたかも、たいていの恋が口に出すことによってその始まりを告げるものであるように。 そうだ、とにかく京都まではたどり着かなければならない。僕はそう自分に言い聞かせた。いくらなんでもこんなところで一晩を明かすわけには行かないのだ。不意にナツたち 4 人のことを僕は思い出した。彼らはとっくに河口湖について湖畔を楽しんでいることだろう。彼らは僕のことを、人生のほんのささやかなエピソードとして記憶にとどめてくれるだろうか…。
1 台の大阪ナンバーの車に狙いを絞った。僕は壮健美茶のペットボトルを片手に運転手が戻るのをじっと待った。50 代半ばと思しき男性がやってきて、間髪をいれずに僕は声をかけた。そのようにして、京都へのルートはようやく開かれたのだった。
男性は名古屋での仕事を終えて大阪の高槻に帰るところだった。穏やかな関西弁で、静かに話した。僕は(たとえばオクテのイタリア人が想像しにくいように)静かな関西人というものを考えたことがなかったので、彼の印象は意外なものに感じられた。でももちろん、女に対して臆病な男がイタリアにだって(たぶん)きちんといるように、静かな関西人というものもちゃんと存在するのだ。彼の関西弁を聞くことで、僕は自分の移動してきたはるかな距離を思った。 彼は自分の子供が小さかったころに、何度か僕の故郷に行ったことがあるということだった。そのささいなエピソードは関西人と関東人の間の微妙な隙間を、そしてドライバーとヒッチハイカーの間に横たわるいかんともしがたい疑心暗鬼を、さらにはもの静かな人間と喋り好きな人間の間の根本的な差異を埋めるのに多少なりとも役立つことになった。われわれは京都が近づくごとにぽつぽつと会話を交わした。月のきれいな夜だな、と僕は思った。それは僕の前途を祝福するかのような輝きに満ちた月だった(少なくとも僕にはそのように見えた)。
幸いなことに彼は同志社大学の出身だった。したがって京都に関してはかなり詳細な、かつ僕にとって有益な情報を提供してくれることになった。彼は深草の高速バスのバス停で車を止めた。「ここで高速を降りればすぐそこに京阪電車の駅がありますさかい、それで京都の町のほうへ行かれたらええんとちゃいますか」。 僕はまた何度も礼を言って車を見送った。同じ月がどうかあのもの静かな関西人にも微笑みかけるようにと、何のお礼もできない代わりに僕は祈らずにはいられなかった。
高速のバス停の暗がりの中で時計を見ると、時間は 8 時を回っていた。京阪電車の藤森駅から、僕は京都の友人に電話をかけた。「実は今京都にいるんだけど、今夜泊めてもらえないか・・・?」。友人はすぐに承知してくれた。持つべきものは友だ、と僕は改めて確認した。そして満ち足りた気持ちで出町柳までの電車に乗り込んだ。 月の明るい、心地よい夜だった。我々は加茂川べりのすし屋ですしを食べ(交通費をケチったのだから食費はめいっぱい使うべきだった)、寝静まった四条の大通りを散歩して(実際は少し道に迷っていた)、そして木屋町の居酒屋で 2 時まで酒を飲んだ。 友人の寮で借りた自転車をこぎ、酔いを醒ましながら月明かりの京都の町を駆け抜けていると、僕には今日一日の出来事がにわかには信じられない思いがした。と同時に、明日はいったいどうするべきか、迷うところもあった。一日で京都までやってきた。それだけでも今回の旅は成功といっていいはずだ。しかし一方で、最初に設定した 24 時間という制限時間には、まだいくらかの時間が残っているのも事実だった。僕はその日の成功に気をよくしていた。酒の勢いも少々手伝っていたかもしれない。いずれにしても、京都の友人の寮の一室で横になりながら、僕はやはり 24 時間が経過するまでは行けるところまで行くべきだろうと思い至った。半ば義務感にも似た感覚が(それはいくらかの徒労感をともなっていた)そうさせていることを僕は知っていた。行こう、行けるところまで。ただひとつの不安は、一日の移動に疲れ、酒に酔ったからだが、翌朝きちんと目覚めるかどうかという点だった。なんとしても眼を覚まさなければ、と思いながら、僕は深い眠りに落ち込んでいった。 しかし何も心配することなどなかった。僕は翌朝 7 時きっかりに眼を覚ましていた。
(第 4 話へと続く)